その前へ立ち塞がるような人影が現れた。そこには一人ではなく数人いる。鯉口を切る音が響いた。
「…………へ、へ……。おれ、死ぬわけには、いかないのサ……。だから、そこ、通してもらうよ……ッ!」
藤堂はそう言うなり、斬り掛かろうと刀を振り上げる。
──帰るんだ、江戸へ。蒸餾水 脫髮
しかし、血を流しすぎた身体にはもう戦う体力など残されていなかった。
──帰るんだ、おれの居場所へ。、」
ふらりとよろめいた瞬間、畳み掛けるように藤堂の身体を刃が貫く。
「あ、ガァッ…………!」
そのうちの一太刀が、額から鼻に渡る致命傷だった。痙攣しながら腹を上にして雪の上へ倒れ込む。みるみるうちに周囲の雪は真っ赤に染まっていった。
眼前に広がるのは、どこまでも果てしなく続く暗闇。そこからしんしんと降り続く柔らかな雪。時の流れが酷く緩やかに見えた。
──ああ、なんて静かな世界なのか。何も聞こえない、何も感じない。綺麗なのに、ただただ怖い。底なし沼へ引き摺られていく感覚だ…………。
そこへ地を鳴らしながら駆けてくる者が居た。新手だとしても、虫の息の藤堂にはもはや関係ない。
視界を覆うように、その者らは覗き込んできた。しかし視界がぼやけているために、それが誰なのかは分からない。
ただ、懐かしい匂いがした。「…………ッ、ご苦労だった……。こ、此処は、俺たちが引き受ける……。残党を追うように」
「──何をしてやがるッ、早く行けッ!!」
振り絞るような声が路地に響く。それは永倉と原田だった。藤堂を逃がすことは幹部だけの極秘であり、一般の隊士には知らされていない。裏切り者の御陵衛士を、旧知だからという理由で庇う行為は隊の士気を下げかねないからだ。故に、藤堂を斬ったことを咎めることは出来ない。
藤堂を斬り付けた者達が去ったことを確認すると、両脇に座り込む。
「…………平助、平助ェッ!」
しきりに自身の名を呼ぶ声に、藤堂は辛うじて意識をこの世へと繋ぎ止めた。
「しん、さ…………さ……の、さ……」
掠れて言葉にすらなっていない声を出す。
永倉と原田は、顔を見合わせた後に藤堂の手を取った。しかし死人のように冷たいそれに、残された時間がもう無いことを悟る。
「へい、すけ…………。死ぬな、死ぬなッ!!」
血を吐きそうなほどに悲痛なそれに、藤堂の視界は僅かに明瞭になった。眼球を左右に動かし、肩を震わせる大の男たちを見遣る。
──二人とも、なんて顔をしてるのサ。池田屋の時も額を割られたケド、無茶すんなって怒ってた癖に。…………どうして今は泣くんだよ。
俺は大丈夫だと言ってやりたかったが、喉の奥に溜まった血液に噎せて言葉にならなかった。ゴフッと嫌な音を立てて口から多量の血液が溢れる。
それに更に二人は慌てるが、藤堂は冷静なままだった。何たって、痛みも苦しさも感じていないのだ。
視線を再び真上へと向ければ、視界が赤く染まったためか、雪を桜だと錯覚し始める。
『平助、今日は花見のようですよ。楽しみですね』
ふと、何処かから今は亡き兄分の声が聞こえてくる。
重くなる目蓋の裏には仄かに明るい世界が広がっていた。
春の暖かさに、貧しくも賑やかな道場。
中庭に植えられた一本の桜の樹。
懐かしく、愛しき光景を脳裏へと浮かべると目を瞑った──
近期熱門活動...
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